エルメス、なぜ工房を増やし続けるのか
エルメスの2026年上期は売上81億6300万ユーロ、為替一定で6.1%増。経常営業利益率41.0%。同じ期に25番目の革工房を開設し、600人超を採用しました。値上げが通る会社が、なぜ生産能力に投資し続けるのかを読み解きます。
需要が増えたら量を増やし、単価は下げる方向に進む
作れる量を増やしながら、単価も維持・引き上げられている
何が起きたか
エルメスが2026年7月29日に発表した2026年上期決算は、売上高81億6300万ユーロ(為替一定で前年同期比6.1%増、実勢レートで1.6%増)。第2四半期は40億9400万ユーロで、為替一定で6.7%増と上期前半から加速しました。経常営業利益は33億5100万ユーロ、売上比41.0%。純利益(グループ持分)は22億3800万ユーロで売上比27.4%、調整後フリーキャッシュフローは21億8200万ユーロと18%増えています。
同じ発表のなかに、財務数値ではない事実が並んでいます。上期に600人超を採用(うちフランス300人)し、グループ従業員は2万7107人。25番目の革製品工房をフランスのループ(Loupes)に開設し、2030年までにさらに3工房の開設を計画しています。
利益率は前年同期の41.4%から41.0%へわずかに下がりました。上期の為替は売上に対して3億6000万ユーロを超える逆風となっており、この0.4ポイントは値決めの失敗ではなく、通貨の影響と読むのが自然です。
顧客は誰で、何に困っていたか
エルメスの顧客の困りごとを「高い」と考えると、この決算は読めません。2026年1月にも価格改定が行われ、それでも売上は伸びています。
この顧客が抱えている困りごとは、欲しいものが手に入らないことです。品番を指定して注文しても、いつ回ってくるか分からない。店に行っても在庫がない。価格を払う意思はあるのに、払う機会が来ない。これは価格の問題ではなく、供給の問題です。
そしてもうひとつ、より静かな困りごとがあります。待っている間に、待つ理由が薄れていないかという不安です。手に入りにくいものが、量産によって「どこにでもあるもの」に変わってしまえば、待った時間の意味が消えます。顧客は商品を待っているだけでなく、「待つに値するものであり続けること」を期待しています。
多くの会社は、この二つを同時に満たせないと考えます。供給を増やせば希少性が薄れ、希少性を守れば顧客を待たせ続ける。どちらを取るかの選択に見えるからです。
付加価値の構造──供給能力そのものが、値決めの根拠になっている
エルメスの上期は、この二つを両立させた形として読めます。
部門別の売上成長率(為替一定)を見ると、革製品・馬具が9.8%増、シルク・繊維が9.7%増で全体を牽引し、既製服・アクセサリーは2.0%増、時計は0.2%増、香水・美容は4.5%減。もっとも職人の手数に制約される革製品が、もっとも伸びています。 需要が足りないのではなく、作れる量が伸びた分だけ売れている、と考えられる構造です。
だから工房を建てます。25番目の工房と600人の採用は、コスト削減のための設備投資ではありません。売れる量の上限を、自分で引き上げる行為です。
ここに、値決めの本質があります。エルメスの価格が通るのは「作らないから」ではありません。作れる量を毎年増やしながら、それでも需要が上回り続けているからです。前者は品薄の演出にすぎず、いつか顧客の信頼を失います。後者は、供給側が努力しているという事実が顧客に見えている状態です。
- 需要が増えたら、量を増やして単価を下げる
- 生産能力は、原価を下げるための投資
- 職人の採用は、人件費の増加要因
- 需要が増えたら、作れる人を増やし、単価は下げない
- 生産能力は、「待てば手に入る」という約束を守るための投資
- 職人の採用は、売れる量の上限そのもの
地域別(為替一定)では、米州が15.3%増、日本が11.0%増、欧州(フランス除く)が8.8%増と伸び、アジア(日本除く)は2.4%増、フランスは1.8%増、中東は4.2%減。成熟市場とされる日本と米州が二桁で伸びている点は、この構造が新興国の需要拡大だけに支えられているのではないことを示しています。
値決めへの接続
エルメスの回収の形は、値上げとシェア拡大の両方です。価格を上げ、同時に作れる量も増やす。売上6.1%増のなかに、価格の要素と数量の要素が同居しています。
ただし、この構造には論点もあります。バーキンなどの人気商品の販売方法をめぐって、米国では2024年に消費者による集団訴訟が起こされており、エルメス側は主張に反論しています。判断は出ていませんが、「誰にどの順番で売るか」という配分のルールが、価格と同じくらい顧客の関心事になっていることは、事実として押さえておくべきでしょう。希少なものを扱う会社にとって、配分の透明性は値決めと不可分の課題です。
日本の会社に引きつけると、学びは「ブランドを作れ」ではありません。自社の売上の上限が、いま何によって決まっているかを特定することです。需要が足りないのか、作れる量が足りないのか。後者であれば、値上げは顧客を減らす行為ではなく、限られた供給を最も価値を感じる顧客に届けるための手段になります。そして同時に、供給能力への投資が値決めの正当性そのものを支えます。値上げの説明が「コストが上がったから」で止まる会社と、「作れる量を増やしている」と言える会社では、同じ価格でも顧客の受け取り方が変わります。
今日の問い
あなたの会社の売上を決めているのは、需要でしょうか、それとも自社の供給能力でしょうか。
もし受注を断っている、納期を待たせている、対応できずに紹介に回している——そういう場面があるなら、それは需要不足ではありません。値決めと能力増強を、同じ一つの打ち手として設計できる状態です。 自社が「作れる量を増やしている」と顧客に説明できる投資は、いま何かあるでしょうか。
参考: エルメス「2026年上期決算」(2026年7月29日発表)(https://finance.yahoo.com/markets/stocks/articles/herm-international-2026-half-results-060000480.html)
本記事は、株式会社カクシンが提唱する付加価値経営の視点でニュースを解説するものです。


